赤羽佑樹

『margin of error』

(2021年)

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写真、インクジェットプリント

456×346mm(5点)

608×802mm(2点)

自身が認識した物や情景を想起する。つい先ほど目にしたものであれば、当たり前のように思い出せるだろう。

その実物が目の前にあったら尚更、一度認識し、理解したそれをそれとして認識することに疑う余地はないように思う。

写真に写された場合はどうだろう。写真のもつ写実性・信憑性から、同様に疑うことを避けるかもしれないが、何かしらの違和感を感じた場合、転じてそれがそれであるという前提を疑い、その違和感の正体を探るかもしれない。場合によっては対象を誤読・誤認することもあり得る。

知覚、とりわけ視覚においてのエラーは見過ごされがちだ。

写真を撮り、人にみせ、その物が何であるのかを伝える。その写真をみた人は写真に描かれている情報を認識し、理解する。

さらにその内容を人に伝えたい場合は、言葉や時にはドローイングを用いて内容を表現するだろう。

その写真やドローイングを使った情報伝達の過程では、認識(インプット)と表現(アウトプット)が繰り返され、イメージはアウトプット者の技術や意図によりその都度変形し、歪さを纏っていくこととなる。

認識と表現を繰り返すことによって物の正確さが失われていく様は、まるで伝言ゲームのようであり、日常的に物事をどのように認識しているのか、いかに曖昧に捉え、伝達し合っているのかを示している。