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北村早紀

『Blinking TAEKO(It’s not her.)』

(2021年)

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ニューブレダン、油性木版

64点1組、サイズ・作品点数可変

各380×380 mm

『疎外された死と不在の色彩』

想像だけで、家族の死を整理する。

2021年5月、祖母の訃報は私に「見届けることも見送ることもない死」という経験を与えた。

「感染者数が落ち着いたら帰るよ」と言い続けた1年半。その間に癌が見つかった彼女は、積極的な治療は不要だと医師に告げたらしい。自宅での転倒を境に不調をきたし、入院後、数ヶ月ほどで亡くなったとのことだった。

東京で暮らす私にとって、想像上の祖母の不在はいまいち奥行きがなく、曖昧な思い出には喪失感を刻むほどの強度もない。彼女はどこにもいない。そう思うほど、むしろどこにでもいるように感じられてならなかった。

死の実感は不在の実感とほぼ同義だ。祖母の永遠の不在を感じるため、私はFacebookなどいくつかのSNSをひらき、彼女の名前を入力してみた。

祖母と同じ名前の見知らぬ人々を縁取る丸いアイコン。そこにいる何人ものTAEKO。

SNSに存在している彼女たちは、写りの良さそうな自身の顔や愛する家族、好きとおぼしき花や風景で自己を示している。

それらを眺めていた時、祖母の遺影を思い出した。

納骨時に家族で見たのだと送られてきた、様々な写真のことも。

TAEKOの明滅。

彼女の遺影、振り向きざまの笑顔、愛した音楽、故郷、幼い頃、そして幼い彼女が携えた玩具。彼女と認識されるもの、彼女が愛したとされるものたち。

60枚を超える作品たちは、祖母の断片的なイメージの表層が版に分けられ、軽薄とも感じられる色彩でさまざまなパターンを構成している。これは弔いでも懐古でもない。ひたすらにTAEKOという空白が、版の表層を行き来している様を記録した行為の跡だ。

18枚の版木といくつもの彼女はどれもがTAEKOであり、どれのひとつもTAEKOではない。

そうしてこの不在は徐々に輪郭を失い、あらゆる事象にゆっくりと馴染んでいくのだろう。

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